お釈迦さまの世界へようこそ

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   なぜ… なぜ… なぜ…
    なぜ、お釈迦さまの世界を書かなければならないのか…
     仏教という一本の木は、2400年の間に大きく茂り森になりました。
      森の中から最初の木を探そうとしました。

          なぜ、森になったのか……
           お釈迦さまの教えを解説したお経や注釈書が多く製作されたためです。
            人々が求める形を具現化した。   
             ある人は、お釈迦さまの教えを自分たちに都合のよい形に変えた。
              仏教の各派が自分の派の特長を出そうとした。
               自分たちの勢力を伸ばし、利益を誘導しようとした。
                それは、自分が一番と多くの人が思ったからです。(私もそのひとり???)

      なぜ、そのように思うのか…
       お釈迦様の教えは、対機説法だからです。
          対機説法 (たいきせっぽう)
            教えを聞く人(機)の能力・素質にふさわしく_法を説くこと.主に_仏の_説法をいう.
             〈随機(ずいき)説法〉〈随機説〉などともいう.人を見て法を説くことを,病に応じて
              薬を与える(_応病与薬(おうびようよやく))ことに喩える._善導の_観無量寿経疏_
               (玄義分)に_如来機に対して法を説くこと多種不同なり_とある._仏,此の観経・弥
                陀経等を説き給ふ事,時も別に,所も別に,対機も別に,利益も別なり.仏の説
                 教は,機にしたがひ,時にしたがひて不同なり_〔黒谷上人語灯録(11)〕・
                                                      岩波仏教辞典

お釈迦様のお話を聞いた人は、その人の病に応じた説法を受けたので、それを記録にとどめました。ある人は、お釈迦さまの教えは、腹痛の薬であるといい、ある人は、けがの薬であるといい、ある人は、手術をしてくれたと云います。
お釈迦様の教えの中心は何であったのでしょう。古来より多くに人が顕した 経・律・論から探って行きたいと思います。

お釈迦さまの考えの中心、覚りの本意、を探していました。ようやく、書けるようになったかなと、思います。


釈尊のさとりの内容、仏教の出発点が種々に異なって伝えられているという点に、
 われわれは重大な問題と特性を見出すのである。

まず第一に仏教そのものは特定の教義というものがない。
 ゴータマ自身は自分のさとりの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じ、相手に応じて異なった説きかたをした。
  だからかれのさと りの内容を推しはかる人々が、いろいろ異なって伝えるにいたったのである。

第二に、特定の教義がないということは、決して無思想ということではない。このようにさとりの内容が種々異なって
 伝えられているにもかかわらず、帰するところは同一である。
  既成の信条や教理にとらわれることなく、現実の人間をあるがままに見て、安心立命の境地を得ようとするのである。
   それは実践的存在としての人間の理法(dharma)を体得しようとする。前掲の長々しい四禅の説明も
    結局はここに帰着する。その説明が現代人からみていかに長たらしく冗長なものとして映ずるにして
     も、先入観をはなれて人間のすがたをありのままに見ようとした最初期の仏教の立揚の歴史的意義は
      尊重さるべきである。

第三に、人間の理法なるものは固定したものではなくて、具体的な生きた人間に即して展開するも
 のであるということを認める。最初期の仏教がそのように表明しているのではないが、変化や発展を
  許したその立場がこのような解釈を可能ならしめるのである。実践哲学としてのこの立揚は思想的
   には無限の発展を可能ならしめる。後世になって仏教のうちに多種多様な思想の成立した理由を、
    われわれはここに見出すのである、過去の人類の思想史において、宗教はしばしば進歩を阻害するもの
     となった。しかし右の立場は進歩を阻害することがない。仏教諸国において宗教と合理主義あるい
      は宗教と科学との対立衝突がほとんど見られなかったのは、最初期の仏教の右の立揚に由来するので
       あると考えられる。
さとりの内容は以上に検討したように、種々に伝えられているけれども、さとりを開いたのちに、
 釈尊はひとつの確信に到達した。それは〈法〉(dharma)が最高の権威であるということである。
                                         中村元 「ゴータマ・ブッダ1」 417頁

 
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